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2005年3月31日 (木)

DVDで見た「王妃マルゴ」の感想

 これは、以前書いた映画の感想です。何の参考書もなく書いていますので、歴史的に正確さを欠くかも知れませんが、一つの詩を書くつもりで書きました。映画を見た人でなくても、解ってもらえるかどうか、あるいは映画を見た人でも解らないかもしれませんが、映画を見た一種異様な感覚を祓う為に書いたというのが動機なので、許して頂くしかありません。
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フランス史上に刻まれた、聖バーソロミューの大虐殺
和解のために集まったプロテスタント6千人を一夜にして死体の山にした、カトリックを奉じるバロア王家の行った血塗られた歴史である。

王妃マルゴは、この演出のための政略結婚の道具であった。彼女は、母を殺され、自らを兄弟の慰み者とされ、一種の特異な精神異常であったといえるだろうが、しかし、信仰が行った狂気に比べれば、彼女の狂気こそが正気だったとも言えるのだろう。

初夜を、下町の行きずりの男に捧げ、そのためにその男を愛するという、羽目に陥る。しかし、それが彼女の純真の証なのかもしれぬ。

虐殺の余韻は覚めやらぬ。平和と安寧を旗印に、血塗られた暗殺を繰り返す母后カトリーヌ・ド・メディス。彼女も、その愛着の深きがゆえに、神の名を用いて罪を重ねる。

仏教で言えばカルマに陥ったものといえよう。敵を葬らんとして、最も愛するべき王に毒を盛ることになる。愛と信を求めた王は、敵にさえそれを求める。そして、最も愛すべき女さえも守り抜くことが出来ぬ。政略の愛憎の渦の中で、いくつもの命が青白い死体を残しては消えてゆく。

アンリが示したものは、義務か。それとも愛か。愛のない政略結婚。それは、プロテスタントとカトリックの和合のためという見せ掛けのために捧げられた茶番劇であった。しかし、それを茶番ではなく、悲劇たらしめたのは、アンリの高貴なる精神にあるといえよう。自分を愛することのない王妃マルゴ。自らの同志が、彼女との恋を結ぶことを、受け止めるしかない。彼はマルゴを愛しないわけではない。しかし、彼は忍ぶ。そして、彼女を同盟者として信頼の絆を結ぶのだ。愛とは別の。

虐殺の青い夜。そこに花咲いた婀娜なる恋が、最も純真なものであった。
首切られたかの男の死体に、王の防腐剤が使われる。美しさを保つために、マルゴの宝石が捧げられる。

彼女は生きる。生きて、アンリのもとへ行く。愛しているわけではない。しかし信頼できる同盟者なのだ。お互いがお互いの窮地を救う。只一度だけ、肉体的な結びつきを持ったのは、その徴なのか。二度とはなくとも、それが高貴なる契約の徴だったのか。

淫売と罵られ、自らもそのように振舞う、男なしでは夜も寝られぬからだと成り果ててしまった彼女の悲しい性。最も低俗なものと最も高貴なものが一つと連なって連環を閉じるのだ。

青白い死体が、満月の光に照らされる。生き返るのは常に死者だけの特権なのだ。生きているものの、何と影の薄いことか。

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