2012/11/18

日本神話の御殿といふサイト

日本神話の御殿

大変貴重な研究の発表されてゐるサイトです。

勉強させていただきます。

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2012/03/04

「古事記」編纂から1300年

今年は、「古事記」編纂から1300年といふ節目の年に当ります。

古典中の古典、「古事記」を今年はじつくりと読み味はふ年としてはいかがでせうか。

「一個人」といふ雑誌が「古事記」を特集してゐました。これから次々と様々な形で伝へられる事でせう。

そこで、多少とも、古事記のテキストを読み味はふために、以下、何点かお勧めしてみたいと思ひます。


☆オーソドックスなテキストとしては、岩波文庫版の「古事記」がお勧めです。


☆旧竹田宮家の男系男子のおひとり、竹田恒泰氏の古事記現代語訳。神武天皇に繋がる祖先の物語として丁寧な解説は素晴らしいですね。

☆朗読するなら「旧訓古事記」が一番!本居宣長が読み下したままの古事記です。総ルビで詠み易いものです。余計な解説など一切ないところが魅力。輪読テキストとして最適です。

☆童話作家の鈴木三重吉が童話風にアレンジした古事記です。子供から大人まで味はふことのできる柔らかい古事記です。


☆古事記を文明史的な視点から解き直す、現役国際政治学者の古事記です。

☆古事記から読み解く日本人論。ご存知、渡部昇一氏の日本人論

☆竹田恒泰氏の日本人論2冊。面白さでは定評があります。古事記を現代に生かす最適の入門書。


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2010/12/05

「言霊の幸はふ國」    小林秀雄

小林秀雄 「白鳥・宣長・言葉」所収 「言葉の力」より

 萬葉の詩人は日本を、「言霊の幸はふ國」と歌つたが、わが國に限らず、どこの國の古代人も、言葉には、不思議な力が宿つてゐることを信じてゐた。現代人は、これを過去の迷信と笑ふことはできない。何故かといふと、この古い信仰は、私達の、言葉に對する極めて自然な態度を語つてゐるからだ。古代人は、言葉といふ事物や観念の記號を信じたのではない。言葉といふ人を動かす不思議な力を信じたのである。物を動かすのには、道具が有效であることを知つたやうに、人を動かすのに、驚くほどの效果を現す言葉といふ道具の力を、率直に認め、これを言霊と呼んだのである。なるほど、呪文によつて自然を動かさうとしたのは愚かであつたらうが、言葉の力は、自然に對する人間の態度を變へることは出來る、態度が變れば、自然が變つたのと同じ效果が上る、さういふことを知らなかつたほど愚かではなかつたのである。彼等にとつて言葉とは、現實の對象や實際の行為に、有效に働く、さういふ一種の機能を持つ力であつた。今日も、詩人はこの古い信仰を傳承してゐる。


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僕が、小林秀雄氏の文章にはじめて触れたのは高校の教科書であつた。平家物語を題材としたその文章は、授業で取り上げられることはなかつたが、退屈な凡百の文章の中にあつて、あまりにも鮮やかに僕の心にしみ込んできた。

最初に読んだ本は「本居宣長・補記」であつた。

なぜ、それを選んだかについては、山本七平氏が書いた追悼文に、「補記」の方が本音がズバリ書いてある、といふ意味のことを書いていたからである。

その次に読んだのがこの「白鳥・宣長・言葉」であつた。

小林秀雄遺稿集といふ帯を見て、まだ真新しい本を買つたのである。


「言葉の力」といふ短い文章ではあるが、言葉に対する極めて率直な小林秀雄氏の思ひがつづられてゐる。

こうした文章の前では沈黙して味はふしか他にすることがなくなる。


良き言葉を使うことが大切だなどと、こちたき議論などしなくても、この一文をじっくりと味はへば、自ずから、良き言葉を使ふやうになるだらう。それくらいに高級な魂の持主であつても、別に罰は当たらないと思ふのだ。

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言霊のさきはふ国     柿本人麻呂

万葉集 巻十三
    柿本朝臣人麻呂の歌集の歌に曰く

葦原の 水穂の国は 神ながら 言挙せぬ国 しかれども 言挙ぞわがする 言幸く まさきくませと つつみなく さきくいまさば 荒磯波 ありても見むと 百重波 千重波にしき 言挙げす吾は 言挙す吾は

    反歌
しきしまの日本の国は言霊のさきはふ国ぞまさきくありこそ

 憶良の歌よりも、更に簡潔に歌ひ上げた、この歌は、正に絶唱と言つてよい。

 敢へて言葉に出して言はなくても心が通じる国である。それが日本といふ国であるとは、昔の日本人ならば実感であつた。日本人の夫婦の会話などは、「あれ」「はい」で済んでしまつた。それほど心が通ひ合つてゐたのである。

 今は、こちたき議論で、言葉の端々を論ふものばかりが幅を利かせる、嫌な世の中になつた。

 これをからごころ、といつたのであらう。

 ただし、ここで「言挙げす吾は」と歌ひ挙げたこの言葉は、こちたき理屈や議論ではない。真心からの言葉である。「言幸く まさきくませ」とは、何といふ尊い、祈りの言葉であらうか。

 皇后陛下の御歌(平成16年・御歌会始・御題「幸」)

 幸くませ 真幸くませと 人々の 声渡りゆく 御幸の町に

が思ひ浮かんでくるが、万葉人の祈りの再現とも思はれる、心に染み透る響きである。

「幸くませ 真幸くませ」とは、国民の声のことである。

しかし、その国民の声を呼び覚ましたのは「御幸」という事実にある。

「御幸」とは、天皇陛下の「国見」に他ならない。そして、それは「国安かれ、民安かれ」の祈りに貫かれてゐるのである。

その天皇陛下の御祈りに感応して、「幸くませ 真幸くませ」つまりは、天皇陛下万歳の声が、生まれたのだ。

そして、この御歌は場所を特定しておられない。つまり、陛下の御幸あるところ、万歳の声が生まれるといふ、47都道府県を全て行幸啓されたところから来る、しみじみとした御実感なのである。天皇と国民が、「幸くませ 真幸くませ」と祈りあふ、尊い国柄が、遠い万葉の言葉を通して甦り、生き生きと歌ひ上げられたのが、この御歌なのだと思ふ。

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言霊の幸はふ国  山上憶良

万葉集 巻五
    山上憶良頓首謹みて上る。
   好去好来の歌一首、反歌二首

神代(かみよ)より 言い傳(つ)て来らく そらみつ 倭(やまと)の国は 皇神(すめかみ)の 厳(いつか)しき国 言霊の 幸(さき)はふ国と 語り継(つ)ぎ 言い継(つ)かひけり 今の世の 人もことごと 目の前に 見たり知りたり 人多(さは)に 満ちてはあれども 高光る 日の朝廷(みかど) 神(かむ)ながら 愛(めで)の盛(さか)りに 天(あめ)の下(した) 奏(まを)し給(たま)ひし 家の子と 選び給ひて 勅旨(おおみこと) 戴(いただ)き持ちて 唐(もろこし)の 遠き境に 遣はされ 罷(まか)りいませ 海原(うなばら)の 邊(へ)にも沖にも 神留(かむづま)り 領(うしは)きいます 諸(もろもろ)の 大御神等 船舳(ふなのへ)に 導き申(まを)し 天地の 大御神たち 倭の 大国霊(おほくにたま) ひさかたの 天の御虚(みそら)ゆ 天(あま)がけり 見渡し給ひ 事了(をは)り 還らむ日には また更(さら)に 大御神たち 船(ふな)の舳(へ)に 御手打ち懸けて 墨縄(すみなは)を 延(は)へたるごとく あちかをし 値嘉(ちか)の岬(さき)より 大伴の 御津の濱びに 直泊(ただはて)に 御船泊(みふねは)てむ つつみなく 幸(さき)くいまして 早帰りませ


 この歌を思ふと、心にひたひたと湧き出てくるものを感ずる。

 何といふ、心のこもつた言葉であらうか。

 遠き異国へ、公の使命を帯びて旅立つ人への、祈りである。

 単なる惜別の情ではない。国家の重き任務を負ふて旅立つ人への餞の言葉なのだ。

 飛鳥維新の時代の息吹を送る人も送られる人も共に呼吸してゐた。

 「言霊の幸(さき)はふ国」とは、何といふ美しい言葉だらうか。

 この言葉を残してくれた山上憶良といふ人物を、限りなく懐かしく思ふ。

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2010/08/26

万葉集 額田王、近江天皇を思ひて作れる歌一首

 君待つと わが戀ひをれば わが屋戸の すだれ動かし 秋の風吹く

(万葉集巻四、四八八)


 近江天皇とは、近江に都した天智天皇のことである。

 額田王は天智天皇の母君にあたられる斎明天皇(皇極天皇重祚)に仕えた官女であり、宮廷歌人でもあった。

 天智天皇が皇太子時代、中大兄皇子として政治に当たっておられた時からの長い関係があったと思われる。

 この歌の歌意は、簡明であり、かつ女性の恋心の微妙な性質を歌い上げている。

 自室(わが屋戸という言葉から推察)に居られた彼女は、ただ恋人を待ち焦がれている。ふと入口の簾が動いた。あの人が来たのかと振り返るけれど、人影はない。ただ、秋の風が吹きすぎていくばかり。

 一人で待っていたのでないことは、次の歌から知られる。

  鏡王女(かがみのおおきみのむすめ)の作れる歌一首

風をだに 戀ふるはともし 風をだに 来むとし待たば 何か嘆かむ

(万葉集巻四、四八九)


 (あなたはそういうけれども)風であっても戀ふることが出来るのは、私には羨ましいばかりのことですよ。
風であっても、(戀ふる人が)来てくれるだろうかと待つことが出来るのだから、何も嘆くことはありません。(いつかきっと迎えにきてくれることでしょう。私には、待つ人もないのです)


 この風は、やはり「秋風」でなければならなかったのでしょう。春風でも、夏風でも、もちろん冬の風でもなく、秋の風でなければ、この歌の風情は出てきません。

 季節はまだ残暑が残る、丁度今頃の季節ではなかったでしょうか。そして、時刻は午後もやや遅い時間。日が少し傾きはじめたころ。昼下がりの気だるさも間延びして、退庁してもよいような頃ではなかったでしょうか。期待と軽い失望。微かに揺れ動く女心というものの襞を感じさせられるように思われます。


 山の辺の道を歩こうと思っています。近々、大和の地まで行ってきます。

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2009/04/19

日本の原点、「古事記」

 古事記の勉強会をしよう、という話しが出てから、もう3ヶ月もたつだろうか。

 一向に始まらない中、何冊か本を読み、特に宣長の「古事記伝」(岩波文庫)を読み返している。

 鈴木三重吉の「古事記物語」が復刊されているのも、たまたま書店で見つけて知った。購入したが、分かりやすく上品な国語で書かれている。

 国語、という言葉が忌避され、日本語、という言葉に置き換えられる傾向があるが、これは意図的な「国」外しに他ならない。

 三上章氏の伝記を読んだが、この異色の文学者の業績はともかくも、近代国家を建設したことまでを、「欧米追随」と言い切ってしまう書き手の能天気ぶりがばかばかしく感じた。そして、「国語」から解放し「日本語」にしなければならないという得手勝手な主張にはあきれ返るばかりだ。

 「日本語学科」「日本文学科」

 それが、「進歩」的なのだと信じているおめでたさは度し難いものがある。

 「日本語が滅びるとき」という本が出たが、誠に弱弱しいことだ。

 「日本語の逆襲」という本こそ、出されるべきであり、一生かけて闘い抜く気概さえないのだろう。


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2007/06/24

古事記歌謡(2)

(大国主命の歌)

 この八千矛の神、高志の国の沼河比売を婚(よば)はむとして幸(い)でます時に、その沼河比売の家に到りまして歌よみしたまひしく

 八千矛(やちほこ)の 神の命(みこと)は、
 八島国(やしまぐに) 妻(つま)求(ま)ぎかねて、
 遠々(とほどほ)し 高志(こし)の国に、
 賢(さか)し女(め)を ありと聞かして
 麗(くは)し女を ありと聞こして
 さ婚(よば)ひに あり立たし
 婚ひに あり通はせ、
 太刀が緒も いまだ解かずて
 襲(おすひ)をも いまだ解かね、
 嬢子(をとめ)の 寝(な)すや板戸を
 押そぶらひ 吾が立たせれば
 引こづらひ わが立たせれば
 青山に 鵺(ぬえ)は鳴きぬ
 さ野つ鳥 雉子(きぎす)は響(とよ)む
 庭つ鳥 鶏(かけ)は鳴く
 うれたくも 鳴くなる鳥か
 この鳥も うち止めこせね

 いしたふや 天馳使(あまはせづかひ)
 事の 語りごとも こをば

 因幡の白兎の話の後、八上比売の愛を勝ち取った大国主の命だが、多くの兄神たちの嫉妬により何度も殺されそうになった。そこで母神は嘆いて根の国を訪れてスサノオの命に相談するように告げる。そこで根の国に往くと、スサノオの命の娘、須世理毘売と大国主命は一目で相愛の仲となる。スサノオの命が出す難題を毘売の助言で次々と解決し、遂に毘売を連れ出して根の国から帰ってくる。八上比売は、須世理毘売が正妻となったのを知って子供を残して国に帰ってしまう。その後の話である。

 大国主命も英雄には違いないのだが、とにかく弱い。兄神たちにやられてばかりいる。ところが、常に女性に助けられているのである。艶福家という言葉があるが、それがぴったりと当てはまる神である。日本の英雄には、常にそれを支える女性の姿がある。

 沼河比売への求婚は、須世理毘売に内緒で進められたいわば浮気であるが、後の「源氏物語」ではないが、決して浮ついたものというのでなく、やはりそこに真情が込められているのであろう。

 この求婚の歌も、なんともあけっぴろげな歌である。

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2007/06/13

古事記歌謡(1)

 しきしまの道の淵源は、天照大御神の弟神である速須佐之男命(スサノオの命)の歌である。

 八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を(1)

 ここから、和歌の道を、「八雲の道」とも言うことがあるのである。

 この歌が伝承上は一番古い歌、ということになる。勿論、5・7・5・7・7という韻律の整っていることから、新しい歌であるとも言われるのであるが、神話伝説上の話にそのような詮索は無用である。

 日本民族の遥か祖先は、和歌の道の始まりをスサノオノミコトに見出した、という事実を胸に刻んでおけばそれでよい。

 「吾此地に来て、我が御心すがすがし」と仰せられたスサノオノミコトの心を心として、己が心を明るく清清しく保つように心がければそれでよいのである。

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