2007/02/26

連合艦隊解散ノ辞   東郷平八郎元帥

連合艦隊解散ノ辞

二十閲月(えつげつ)の征戦已(すで)に往事(わうじ)と過ぎ、我が連合艦隊は今や其の隊を結了して茲(こゝ)に解散する事となれり。然(しか)れども我(われ)等(ら)海軍々(かいぐんぐん)人(じん)の責務は決して之(これ)が為(ため)に軽減せるものにあらず、此の戦役の収果を永遠に全くし、尚(なほ)益々(ますます)国運の隆昌(りゅうしょう)を扶(ふ)持(ぢ)せんには、時の平戦を問はず、先(ま)ず外衛に立つべき海軍が常に其の武力を海洋に保全し、一朝(いってう)緩急(くわんきゅう)に応ずるの覚悟あるを要す。而(しか)して武力なる物は艦船兵器等のみにあらずして、之を活用する無形の実力にあり、百発百中の一砲能(よ)く百発一中の敵砲百門に対抗し得るを覚らば、我等軍人は主として武力を形而上(けいじじやう)に求めるべからず。近く我が海軍の勝利を得たる所以(ゆえん)も、至尊(しそん)の霊徳に頼る所多しと雖(いへど)も、抑(そもそも)亦(また)平素の錬磨其の因を成し、果を戦役に結びたるものにして、若(も)し既往(きわう)を以(も)つて将来を推(お)すときは、征戦息(や)むと雖も安んじて休憩す可(べか)らざるものあるを覚ゆ。惟(おも)ふに武人の一生は連綿(れんめん)不断(ふだん)の戦争にして、時の平戦に由(よ)り其の責務に軽重あるの理なし。事有れば武力を発揮し、事無ければ之を修養し、終始一貫其の本分を盡(つく)さんのみ。過去の一年有半彼(いうはんか)の風濤(ふうたふ)と戦ひ、寒暑に抗し、屡々(しばしば)頑敵(ぐわんてき)と對(たい)して生死の間に出入せしこと固(もと)より容易の業ならざりしも、観ずれば是れ亦長期の一大演習にして之に参加し幾多啓発するを得たる武人の幸福比(ひ)するに物無し。豈(あに)之を征戦の労苦とするに足らんや。苟(いやしく)も武人にして治平に偸安(とうあん)せんか兵備の外観毅然(きぜん)たるも宛(あだか)も沙上(しやじやう)の楼閣の如(ごと)く、暴風一過忽(たちま)ち崩倒するに至らん。洵(まこと)に戒むべきなり。
昔者(むかしは)、神功皇后三韓を征服し給(たま)ひし以来、韓国は四百余年間、我が統理の下(もと)にありしも、一たび海軍の廃頻(はいたい)するや忽ち之を失い、叉(また)近世に入り、徳川幕府治平に狃(な)れて、兵備を懈(おこた)れば、挙国米艦数隻の應對(おうたい)に苦しみ、露艦亦千島樺太を覬覦(きゆ)するも、之と抗争すること能(あた)はざるに至れり。翻(ひるがへ)つて之を西史に見るに、十九世紀の初めに當(あた)り、ナイル及びトラファルガー等に勝ちたる英国海軍は、祖国を泰山の安きに置きたるのみならず爾来(じらい)後進(こうしん)相襲(あひおそつ)て能く其の武力を保有し世運の進歩に後れざりしかは、今に至る迄(まで)永(なが)く其の国利を擁護し国権を伸張するを得たり。蓋(けだ)し此(かく)の如き古今東西の殷鑑(いんかん)は爲政(いせい)の然(しか)らしむるものありと雖(いへど)も主として武人が治に居て亂(らん)を忘れざると否とに基ける自然の結果たらざるは無し。我等戦後の軍人は、深く此等の實例(じつれい)に鑑(かんが)み、既有(きいう)の錬磨に加ふるに戦役の實験(じつけん)を以つてし、更に将来の進歩を圖(はか)りて時勢の発展に後れざるを期せざる可(べか)らず。若(も)し夫(そ)れ常に、聖(せい)諭(ゆ)を奉體(ほうたい)して、孜々(しゝ)奮勵(ふんれい)し實力(じつりょく)の満を持して放つべき時節を待たば、庶幾(こいねがは)くば以て永遠に護国の大任を全うする事を得ん。神明は唯(たゞ)平素の鍛錬に力(つと)め戦はずして既に勝てる者に勝利の榮(えい)冠(くわん)を授くると同時に、一勝に満足し治平に安んずる者より直(たゞち)に之を褫(うば)ふ。古人曰(いは)く勝って兜の緒を締めよと。

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