2007/05/12

皇后宮にこたへ奉る歌 ~其の16~ 長野県

皇后宮御歌

 やすからにねむれとそおもふ君のため

 いのちさゝけしますらをのとも

    昭和十二年十一月三十日戦歿者に賜ふ

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神風に吹きちらされて紅葉ばの絹やぶりてそこに落ちけり
          長野懸 小幡麻太郎

黄村に征きて其身は責つくししばしは先きて心残りて
          同    原山隆太郎

和子三人皇国のために征きしかも只一柱ささげやすくに
          同    廣田かつ

我が夫を護国に捧げ今此処に遺児を守りて強く生きなん
          同    近藤春枝

かぎりなきめぐみになみだとめやらでこうあいのいゑをちかにささへん
          同    加藤廣吉

靖国と神鎮まりし脊の霊よよろつよまても護れ御国を
          同    中村房枝

大君に身をもささけてますらをの国のまもりとなるぞうれしき
          同    大池よし

なすこともなくちりはてし子なからも君にささけしわれそうれしき
          同    中村桂市

なみたのみたたさきたちてかしこさにかたしけなさのきはみなりけり
          同    竹村はつ

もののふの華とちりにししつか身もみそなはすこそたふとかりける
          同    唐木今朝弥

靖国の鎮の神とあふかれてしつの我が子や嬉しかるらむ
          同    氷川栄一

中支那の草葉の露と消えし子のいさをは家のほまれなりけり
          同    松田四方吉

しかはねは野にさらすともやす国の神とあふかな世をまもるらん
          同    安藤きく子

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2006/11/11

皇后宮御歌にこたへ奉る歌 戦没者遺族の部 ~その15~ 山梨縣、長野縣

皇后宮御歌

 やすからにねむれとそおもふ君のため

 いのちさゝけしますらをのとも

    昭和十二年十一月三十日戦歿者に賜ふ

*************************

日の本の鎮となりて我が夫の霊や永久に安らかならん
             山梨縣 八巻眞治 妻

たまひたるみうたおかみてやからみな嬉しなみたに袖しほるなり
             同    志村貞治

なくさめむ言葉なきまてかしこくも下したまひしみうた尊き
             同    同 ふみ

兵士のやかたいかにとのたまへるみうたしのひてむせひあふかな
             同    同 貞男

國のためたふれし身にも大君のめくみの露のかゝるうれしさ
             同    丸山則善

大君に命さゝけて我子はも護國の神と今はなりけり
             同    同 ひさ

大君に命捧けし我か夫に御歌賜はりいとゝかしこき
             同    浅川かめを

如何にして大御心に答へんと日々にはげまん己が業ひ
             同    小野眞作

世にのこす功勲をなくてみ惠の露おもけなる撫子の花
             長野縣 坂本崇臣

靖國の玉の御神に長男は二男の征きし武運とこしへ
             同    児玉正蔵

たよりして育て上けして靖國にさゝけつくして家門のほまれよ
             同    和田六之助

すゑかけて語り繼きてむ畏くも御歌仰きし家のほまれを
             同    船越喜久太郎

功をたて金鵄のほこり靖國て拝む皇威の只ありかたき
             同    松澤清一郎

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2006/11/10

皇后宮御歌にこたへ奉る歌 ~遺族の部~ その14 福井縣続き

有りかたき御歌たまはりなき吾子もみことかしこみやすくねむらん
               福井縣 米谷治作

畏くも降し給へる御歌に一きははえて吾子はねむらむ
               同    布島すて

かしこくも下し給へるみ歌をばいただきねむる靖國の神
               同    藤井玉枝

賜はりし御歌かしこみなきせこはつちの下にて永久にねむらむ
               同    米澤ただ子

なゝたひも國にむくひむますらをも御歌かしこみやすくねむらむ
               同    松澤トヨコ

大君の御いつのもとにおつる葉はとわに祈らん國のしすめを
               同    島田保太郎

いさゝかのつとめ果さでかしこくもいま靖國の神と祀らる
               同    倉内勝作

大君にさゝげまつりしいとし子の今日のめくみにあふぞ尊き
               同    高木 薫

大君にささげし我子戦ひて國に死せしをうれしともみし
               同    福岡鶴堂

尊とさやなさけの御歌拝すとき身にあまりある涙なるらむ
               同    青山外次郎

大君のため臣としてやすくににのこすほまれはいく千代までも
               同    吉田伊助

おほ君の御楯となりしものゝふは永遠につくさむ大和魂
               同    角出喜代子

一人ある児を軍人にせよといふ戦の地より遺し書かな
               同    宮下金次郎

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2006/11/07

皇后宮御歌にこたへ奉る歌 遺族の部 その13 福井縣

靖國にねむれる夫にしたかひてともにまもらん大君のくに
                福井縣 木米喜代子
かしこしや御心ふかく大らけき御歌に哭きて雄々しく活きむ
                同    木脇ハマ
やすらかにねむる吾子はもとこしえに神としあはれ泪なかるゝ
                同    坂崎與三太郎
皇國の榮と共に永久に生く君かみ楯と散りしいのちは
                同    八田柳子
おほみこゝろうけたまはるたにもものゝふはいかていのちのをしからましや
                同    馬来田ムメ
しゝてなほなきあとまてもおほしめすおほみこゝろにいかゝこたへむ
                同    同 よそ
いかにしてこたへまつらんひとりこのなきあとまてもおほしめすをは
                同    同 善廣
やすくにの庭に納まる我か倅君の御拝ぞ有難かりき
                同    平澤清順
吾子は今御國の神ぞこの榮を胸にこめつゝ生きるよろこび
                同    山田ヒサ
あはれとてくたしたまへるおほみうたたゝかしこさになみたこほるゝ
                同    屋代芳子
萬歳と勇みて征きし御声すら今はきこえぬ靖國の神
                同    川添新太郎
まつられて嘸やすらかにねむるらむみためとなりし吾子そうれしき
                同    梶川こと
折こそと勇みて征きし吾子の訃ををしとおもほすみことかしこし
                同    忠見慶造

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2006/10/05

皇后宮御歌にこたへ奉る歌  遺族の部 その12 石川県、福井県

ありがたき 皇后の宮の 御歌を 家の寶と 永久につたへむ
             石川縣 福島久美子

日の丸の 戦ふ民の みなし子も 命は國の 御柱かな
             同    三野芳太郎

みきさきの めくみかしこく 伏し拝む 君のみかけの いや高からし
             同    中枝美惠

うらやすく しつまりぬらむ かしこくも おほみこゝろを あふきまつりて
             同    鈴木平一

御歌を 拝して今日も 針をとる 母はたのしや 靖國の子よ
             福井縣 河合ワト

永久に くにのしづめと まつらるゝ あゝかたじけな ひのもとのくに
             同    古市静代

ひとすじに 幼きわらはべ はぐくまん ほまれの家の 花かほれかし
             同    同 つねを

ほゝえみて さゝげまつらん 我がちゝを 千代に八千代に 榮ゆるみくにに
             同    同 進

つねつねに 百とせのちの み榮を 絵かきて勇み 征きし我が夫
             同    松本せつ

今宵こそ 故き父上の ひたすらに 御たま祀らん 母ぞ侘しき
             同    同 俊彦

大君に 數なき男の子 さゝけえし ほまれをとわに 傳へのこさん
             同    野路又吉

大御歌 おろがみまつる まなかひに 吾子のほゝえむ 姿みえけり
             同    山田新角

慈悲深き 皇后の御歌を 拝すだに 今は逝き子の 譽偲ばる
             同    細田まさ

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久しぶりに、再開しました。

最初の歌の「皇后」は「キサイ」、「永久」は「トワ」とルビがあります。
最後の「皇后」は「ミヤ」とあります。

和歌に顕れる雅語は、古き言葉の伝統を伝へてゐるやうに感じます。

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2006/09/05

皇后宮御歌にこたへ奉る歌 その11 新潟県、石川県

慰めを 世にはもとめぬ 身なれども おほみうたこそ 光なりけれ
             新潟県 吉澤芳子

唐國の 野末に吾子は 死にたれど 御歌仰きて 安くねふらむ
             同    関澤勝英 父

やすらかに ねむれ靖國 武夫らの 君命重し 日の本の道
             同    山田吉太郎

わがきみに さゝげまつりし しずがをの ごこくのをにと なりしうれしさ
             同    猪又キワ

海原の 廣きにまさる 大御うた 拝して語る ちさき手柄に
             同    白岩正治 父

吾夫は 唐國の野に 伏しぬれど 御歌拝して 霊をどるらん
             同    白石紋治 妻

田の畔に 吾子ねかして 豆引きつ 御歌かしこみ 亡き人偲ぶ
             同    園田定廣 妻

大御歌 おろがみまつり 母人と 弟の手柄 語る宵かも
             同    小林仁三郎 兄

みあかしの ゆらきに笑める 吾か夫に 今宵も御歌 唱へまつらむ
             同    山本新五郎右衛門 妻

己が夫が わすれかたみの 二人娘を そだてゝ君に むくひまつらむ
             同    齋藤信秀 妻

かたみ子を 育て上げんと 思ふ身に ただありがたき 御歌嬉しき
             石川県 中村直次郎

かたるへき いさをもたてで ゆきしみを いたわりたまふ きみぞかしこし
             同    若山義同

御惠の かたしけなさに 伏し拝む 亡き兄偲び 御歌あふぎて
             同    中板義智

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 この歌集を一ページづつ紹介していくつもりが、暫く中断してしまつた。殆どアクセスもないが、それでも極稀にはおとづれて見てくれる人もある。また、このやうな貴重な魂の記録は、第一次史料として誰でも見られるようにしておくことは、それなりに意義のあることと信ずる。

 一ページを写し終わる毎に、お一人お一人の思ひの深さが思はれて胸の内にしみじみとした感慨が広がる。写経のやふな気持ちでこれを写してゐるのであるが、この遺族の方々の思ひの背景に、掛替えのない肉親の死といふ厳然たる事實が控へてゐるのである。

 「おほみうたこそ光なりけれ」「御歌仰きて」「御歌拝して」「大御歌おろがみまつり」「今宵も御歌唱へまつらむ」「ありがたき御歌嬉しき」「御歌あふぎて」

 皇后陛下の賜られた御歌に、どれほど遺族の方々が慰められたか、今日の一ページだけでもこれだけの言葉がある。また、名前の後ろに、「妻」「父」「兄」といふ署名がされてゐるが、恐らくは、天覧に、亡き人の名前をお目に掛けたい一心なのであらふかと思はれる。まことにも床しい心栄えである。これが日本人の心なのだと思はれる。

 この一連の歌は、いはゆる専門歌人のものではない。しかし、胸を打つこと、専門歌人が如何に技巧を凝らしてもかなはぬものがある。歌とは、真率の情を歌ひ上げるもの。三井甲之先生に習つて言へば、實人生の上にこそ真の芸術が存するのである。「ただ一首詠みて死なまししきしまのまことの道にたがはざる歌」とは何方の歌であつたか。實人生の中にあつて、本当に深い感動を得て、しきしまの道にかなうまことの歌が詠める瞬間といふのはそう何度もあるものではなかろう。皇后陛下の御歌は、戦没者遺族の上を思ひて詠ませ給ふたものである。いはば、戦没者遺族一人ひとりが、自分に詠んで頂いたとの感激で受け止められたのである。今は知らず、当時の日本において、皇后陛下から御歌を賜るといふことがどれほど驚天動地の出来事であるか。それは大きな慰めになつたことはこれらの草草の歌が証明してゐる。人生における決して多くない真率の感動の一つとして留められたものであらふ。しかもこのやふな形でその思ひを皇后陛下にお応え申し上げることが出来た。それによつてこの美しい草莽の民の心の姿が結晶として残されたのである。これは日本にしか起り得ない文化伝統の粋ではなからふか。日本人の魂の系譜には、このやうな伏流水の如き清冽なる水脈が滔々と流れてゐるのだと信じたい。それは、今深く眠つてゐるやふに見へやうとも、いつの日にか再びまたこの国を潤して、国を救う日があるに違ひない。これが、天皇を戴く我が国にのみ許された「天皇信仰」と呼ばれる心のありやうなのであると思ふ。    

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2006/08/19

皇后宮御歌にこたへ奉る歌 ~その10~ 戦歿者遺族の部  男の子われかくこそ死なめ

たまわりし 御うた嬉しく いただひて 賤が伏家の寶なりけり
               新潟県 片山宏 兄

鴻毛の かるき命に 引きかへて 護國の神の 重き御惠
               同    比護正 伯父

たてまつる かばねわ野邊に さらすとも 國の誉を ますぞうれしき
               同    保坂梅太郎

やすらかに ねむりにけりな 母君の みめくみあつき ふところにいて
               同    須藤佐平

かしこくも 御うたたまはりし あさゆふに くちずさみつゝ みたまなぐさむ
               同    佐藤英治郎

みいくさに いでたちし日ゆ 大君に さゝげしいのち をしくもあらめや
               同    島崎キン

やすらかに ねむれ給へと 賜はりし 御歌かしこし よむにえ堪えす
               同    阿部祐次郎

賜はりし 御歌かしこし すめらきの みこと壽き 失せにけむ子に
               同    同 フク

朝々を 御歌よみます 父そはの 声すみわたる 英霊きゝてむ
               同    同 進

男の子われ かくこそ死なめ 大君の み楯となりて 兄は逝き給ふ
               同    同 長門

なかなかに 泣かさる父に ありしかと 御歌をろかみ 声して泣きぬ
               同    同 ウメ

やすらかに 眠れとたまふ み言葉に みたてとなりし 夫やなくらむ
               同    今井ヒデ

わか父は かへり来ねとも 給ひたる み歌かしこみ われもはけまむ
               同    同 弥生

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阿部家の長男が戦死されたのか、父、母、弟、妹の歌が続いて掲載されてゐる。毎朝、皇后御歌を拝誦しておられる父と、その声を聴き、亡き兄の英霊も聴いているだろうと思ふ弟、男の死に様を示してくださったという弟、御歌を賜り、一家全体が長男の英霊と共に感涙に咽ぶような姿である。勤皇の一族とはかくの如きものか、と思はれる。

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2006/08/17

皇后宮御歌にこたへ奉る歌 ~その10~ 戦歿者遺族の部~ 

ありかたき 御歌にこたへ 奉り 拙き和歌を 捧けまつらむ
               神奈川県 青木武夫

ありかたき 君の惠みに 育くまれ 散りても神と 祀り賜はる
               同     同 ヒサヨ

夫ゆきて みとせの秋の 露うけし 遺児の小菊 すこやかにあれ
               同     高澤幸子

たまはりし み歌あふけは なき父の 門出のすかた めにうかふかな
               同     加藤寛司

いまはなき 夫にたむけむ かけまくも あやにかしこき 玉のことの葉
               同     加藤春子

みめくみの ふかきこさたを かしこみて いかにつたへむ すへをしそ思ふ
               同     飯島美貴

聖戦に 夫の召されて 早三とせ 御國のために 盡すうれしさ
               同     岩崎智枝子

御心の かたしけなさに 靖國の 宮居に鎮む あこも泣くらん
               新潟県 野口一雄

死ぬところ えたりと思ひ わか夫も やすくねむらん 靖國の宮
               同    土田鈴子

神の子と 生まれ出でます 幸を 平和の光と 永遠に語らむ
               同    寺崎政子

君がため 護國の神と 仰がれて みうたにむせぶ ものゝふの親
               同    高崎太忠 父

天かけり かへりし夫よ 亡きつまよ み歌聞きませ この大御歌
               同    佐藤民治 妻

我子護國の神なるは家の譽とこしなゑ
               同    比護孝興 父

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家族皆で献詠したと思はれる方々もある。英霊となられた方の
お名前に、父や妻と記して、芳名を天覧に供した方々もおられ
ます。     

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2006/08/16

皇后宮御歌にこたえ奉る歌 ~その9~ さひしさも悲しさもなし~

靖國に しづまりませし ますらをも おゝ御心に こたへまつらん
                東京府 廣瀬菊枝

ありかたき 御うた賜ひて かしこくも おほみこゝろに そわてやむへき
                同    畑かね

おすみつき 千代に八千代に 我が家の たからと仰ぎ 國につくさん
                同    神戸善五郎

かしこしや わかおほきみの みめくみに いくさのともと やすくにのみや
                同    杉浦政義

悲しみの 中にうれしき 事は唯 皇國のために 立ちしひとり児
                同    萩野知足

東洋の 平和のために 散る花は 何にかおしまん 君のためには
                同    樗澤ハル

ありがたき み言葉給ひ 靖國の 地下のみ霊も 涙ながるゝ
                同    羽生剛一

さひしさも 悲しさもなし 國のため 華と散りにし いさをおもへば
                神奈川県 杉田千代子

數ならぬ しづのはてまて 御惠を たれさせ給ふ 御世そたふとき
                同      軽部勝次郎

國たまの かすに入りにし 吾子も亦 うれし涙に むせひてやあらん
                同      稻木友吉

わか兄は 武運つたなく 散りゆけと をくりたまひし 金鵄かゝやく
                同      青木一雄

をゝしくも 大陸の空 翔け征きて 愛機と共に いまははかなし
                同      同 信子

身をさゝけ つくしおほせる 兄上は 今やすらかに ほゝゑみにけり
                同      同 千江子

**************************
自分は今、価値判断をしようといふのではない。ましてや過去を
断罪するなどといふ傲慢をしやふなどと思はない。
ただ、当時の国民の思ひに沿つてその思ひを追体験したいと思
ふのである。

ここでは、「名誉の戦死」といふ言葉が生きている。その言葉は、
遺族の心をどれだけ救ふ力があつただらふ。かつまた、「東洋の
平和のために散る」と、戦ひの意義付けをしてゐる歌もある。そ
れは決して個人の思ひを遥かに超へて、国民的理解とも言ふべ
き戦争目的に関する理解ではなかつたであらふか。

「さひしさも悲しさもなし」と、強く言ひ切つてはゐるが、ここでは
強く否定することによつてそれを乗り越えようといふ心の動きが
あるのではなからふかと思はれる。「國のため華と散りにしいさ
を」を思ふことによつて乗り越えていこうといふのである。

現在の軽薄な人々は、これを誤魔化しだといふ。しかし、ここに
は何の誤魔化しもない。そもそも肉親の死を何かで誤魔化せる
などといふ心根自体が極めて卑しい発想ではないか。恨みつら
みを叫べばそれが人間の本性だとでもいひたげな、人間軽蔑
の思想。それが背後にある。

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2006/08/15

皇后宮御歌にこたへ奉る歌 ~その8~

家をすて 親をわすれて みいくさに めさるゝ身こそ ほまれなりけり
                 東京府 山本忠次郎

みにあまる みひかりうけて とこしへに かゝやくいさを あらはれにけり
                 同    大峯そて

なくな子よ いましか父は やすらかに ねむれとみうた たまはりし身そ
                 同    津留濱

おほきみの みたまのふゆに めくまれて かみとしつまる ものゝふそよき
                 同    大峯吉次郎

たゝかひの にはにちりても しらきくは おほみこゝろに かをそのこせる
                 同    同 照子

大君の なさけに胸も はりさけん 國にさゝけし 命なりせば
                 同    内田貞吉

國おもふ こゝろも今は 老の身の せめて銃後に つかへまつらむ
                 同    石鍋増五郎

有難き 御歌賜ひて あな尊ふと 心に刻りて 雄雄しく生きむ
                 同    中村和賀

なきたまも いと安らかに ねむるらん 大御心の 厚きなさけに
                 同    阿倍一松

人はみな 君にさゝけし いのちなり 九たんさくらと ちりしとうとさ
                 同    藤井シズ

うつし世を くにのしづめと 君がため 千世にまもらん たてし勲を
                 同    平川きよ

やすらかに みうた拝して ねむるらむ ほまれは家の たからなりけり
                 同    長谷川さと

子はすでに 靖國にゐます 孫もまた すめら御國に さゝげむと思ふ
                 同    谷田部よし

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現代只今の価値観からすれば、「國にささけし命」「なきたまもいと安らかにねむるらん」「人はみな君にささけしいのちなり」「子はすでに~孫もまた~」と、御國のために命を捧げる生き方など、まったく無意味、あるいは悪とさえ指弾されることになるだろう。「命を粗末にする愚かな考え」と切って捨てるのではなかろうか。

ここに、価値観の断絶を見ることは容易い。

しかし、昨日、元特攻隊要員であられた方のお話を聞くにつけ、少し見方が変つた。

誤解を恐れずにいへば、価値観の断絶があるのではない。価値観に欠落があるのだ、といふことに気がついたのである。生まれてきた以上、遅かれ早かれ必ず死ぬと運命づけられたのが人間である。ただ生きている、といふことだけに価値があるのではない、よりよく生きるところに価値があるというのは、戦前戦後を貫くことの出来る価値観ではなかろうか。ただ、戦後といふ時代には、「生きている」ということだけに価値を置くが故に、その内実をまったく問はない。「死」を考へなくなったが故に、「生」の内実まで失つてしまつたのが戦後といふ時代の価値観の欠落なのではなかろうかと思はれる。

 「死」を見据えた場合、如何に生きたか、にある価値に気付かされるはずである。

 「国のために死ぬ」といふことは、戦後の時代において、最大の愚行として教えられてきた。そして、その正しさを証明するためにとでも言はんばかりに、「国のために死んだ」人々を徹底的に足蹴にしてきたのである。

 はっきり言えば、現代の世界において、「国のために死ぬ」ことが最大級のプラス価値でない国が、我が国以外どれだけあるのか。単純比較は出来ないかもしれないが、国家あるいは自分の属する共同体を守るために生命を投げ出すという行為は、昔も、そして今も崇高なものとして尊敬されるのが一般ではないのだろうか。

 語られない深い悲しみが背後にあることを疑ふことは出来ない。しかしまた国のために命を捧げた肉親に対する強い誇りも同時に抱かれたのである。これは決して矛盾するものではなかつた。

 もしこの「誇り」が否定されれば、残るものは「悲しみ」のみになる。そしてそれを強要してきたのが戦後という時代であつたのだらう。

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