2006/11/11

歎涙和哥集初篇    ~その1~

歎涙和哥集初篇

   十月三日阿部伊豫守へ御預に相成候面々終日
   酒宴を賜うて退散、各詠歌
                高橋兵部権大輔
木枯に吹き立てられし樫の實のはやくも落つる神無月かな

                伊丹蔵人重臣
馴れぬれば憂しと思ひ獄さへ今は別れとなるぞ悲しき

                山田勘解由時章
神無月時雨と共に散るものは紅葉と我とばかりなりけり

                賴三樹三郎 醇
わがつみは君の世思ふ眞心の深からざりししるしなりけり

                梅田源次郎定明
天の戸を押し明け方の雲間より出づる日影の曇らずもがな

                伊丹蔵人重臣
月さへもしづ心なく見ゆるかな豊芦原の風さわぐとは

                定 明
あしたづの芦間がくれに身をかくし空に思ひの音をのみぞなく

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※獄・・・読み「ひとや」
※時雨・・・読み「しぐれ」

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2006/04/14

幕末志士の絶唱~「歎涕和歌集」

 幕末の志士たちは多くの詩歌を残した。
 中には一首だけ残されている人もある。たくさんの歌を残した人もある。そのいずれもが、国を思い人生をかけて短い命を駆け抜けた絶唱なのだ。漢詩も沢山残されているが、現代の我々にとっては、漢文の素養が著しく衰退していることもあり、容易には取り付くことが出来ない。しかし、和歌ならば、中学程度の古語の文法を思い出すだけで取り付くことが可能であろう。130余年前の人々の心を、和歌を通して直接感じ取ることが出来るのである。
 明治維新以後、敗戦まで、多くの志士遺文集や詩歌集がつくられた。しかし、今では殆ど目にする機会がない。
 ここに紹介する「歎涕和歌集」は、慶応三年に志士に最も近かった人の手により編纂されたものであり、様々な間違いも指摘されるが、同時代の人の手に成ったという意味でも貴重な歌集であると思われる。第一篇から第四篇に分かれているが、その全編を、分割して紹介して行きたいと思う。そのつど、余計ではあるが、感想なども添えるかもしれない。

 今回は、序文を紹介したいと思う。


歎涕和歌集序

いにし安政のころより此のかた、大皇國のために大和ごころを盡して、なかなかにあらぬ罪に行はれ、あるはひと屋の中に欝悒しく年月をおくりて、遂におひはなたれなどしたる人々、其のかずかぞふるにいとまなきをば、こころあらむ誰の人かはあはれと称へ、かなしとは思はざらん。かしこくも今天のしたの大御まつりごと、よろづいにしへのただしき道にもとづかせたまふおほん時に、あひたてまつるにつきても、かかりけむ人々らがはやく身をつくし心を盡しし功勳なからましやはとさへおぼゆるかたありて、さらにくちをしくもまたうれしうなむ。さるを此のころ、土佐の殿人宮地維宣ぬし、その事のあとをうれたみ、彼の人々の中に、事につき時にふれて云ひ出でけむことの葉どもの、かつがつちり残りたるを拾ひ、歎涕和歌集と外題して世に傳へらるる事は、せめてその人の霊を慰め、かつは今より後の人のいよいよ皇國のために、赤心を盡さんもとゐにもがなと、物せられたるふかき心しらひにして、尋常の集どものよくととのひて、おもしろきをむねとえらびたらん物とはいたく事かはりためれば、歌のうへのよしやあしやはおきて、唯そのよみ人らのををしき大和だましひを思ふべきにこそ。

慶應三年十二月つごもがた 平 忠秋誌

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