2014/12/04

ご紹介 ホームページ「やまとうた」

 検索すると何かにつけてこのサイトにたどり着き、これまでも何度となく勉強させて頂きました。

 ここに備忘も兼ねてご紹介させて頂きます。


 やまとうた


 和歌入門(引用集) も大変参考になります。


 このサイトの背景に20年以上ものご努力の積み重ねがあつたこと、今初めて確認させて頂きました。

 感謝と敬意を表する次第です。


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二十一代集データベース

 この間拝観した明治神宮と宮内庁公文書館共催「宮中の和歌ー明治天皇の時代ー」の展示の中で、昭憲皇太后様御愛用の「二十一代集」がありました。

 二十一代集とは、醍醐天皇の御下命により編纂された「古今和歌集」から始まり、御花園天皇の御下命により編纂された「新続古今和歌集」までの二十一の勅撰和歌集の事であります。

 収録された和歌の数は、実に33662首になりますが、このすべての和歌を検索できるデータベースが作成されてをりましたので、備忘の意味も兼ねてご紹介させて頂きます。

 二十一代集データベース

 国文学研究資料館 によるものです。

 本当に便利な世の中になつたものです。

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2008/06/12

素晴らしきかな、江戸の先人 ~貝原益軒 「大和俗訓」を読む~

 貝原益軒の「大和俗訓」が岩波文庫から出ている。

 ずっと以前に入手していたが、中々読めないでいた。

 ふと、手に取り、読み出してみたら、面白い。

 吉田松陰の「講孟余話」に通じる内容が、更に分かりやすい文章で書かれている。

 
 「学問の道は心をむなしくし、へりくだり、よくしれることをもしらざるが如くにし、能く行ふことをも行はざるが如くにし、我が才と行とにほこらず、わが智を先だてずして、人に問ひ、人のいさめを聞き用ひ、我が過を改めて善にうつるべし。かくのごとくすれば、学問の益あり。善にすすむこときはまりなし。もし自らほこり、我を是とし、人を非とし、人の諌をふせぎ、我が過をきく事をきらはば、才学に長ずるにしたがひて、その心あしくなりて、学問の益なきのみにあらず、かへりて害となるべし。是れ己が為にせずして人のためにする故、君子儒とならずして、小人儒となるなり。かくのごとくならんは、学ばざるにおとれり。」

 それほど難しい文章ではないと思うが、以下、自分なりに現代語にしてみる。意味毎に原文にはないが段落をつけてみた。

「学問の道は、心をむなしくして、へりくだり、自分がよく知っていると思っていることも、よく知らないようにして、また、自分がよく行っていると思っていることも、よく行っていないようにして、自分の才能や自分の行いを誇らずに、自分の知識を先立てるのではなく、人に教えを乞い、人が諌めてくれる言葉を聞いてそれを用い、自分の過ちを改めて善に移っていくべきである。このようにすれば、学問をして益があるだろう。善に向かって進んでいくことはこれでよいということはない。

 もし、自分に慢心して誇り、自分こそが正しく、他人は間違っているとして、人が諌めてくれる言葉にも耳を塞ぎ、自分が間違っていると聞くことを嫌がっていたならば、勉強を積み重ねていけばいくほど、その心根は益々悪くなってゆくであろう。それでは学問をする益がないばかりか、却って害となるのである。

 このようになるつてしまうのは、自分の身を正し自分の身を善に移すために学問をするのではなく、他人を批判し評価して裁くために学問をするからであって、君子の学問ではなく、小人の学問となってしまうのである。

 このような学問ならば、学ばないでいるよりも人間として劣るだけであり、しないほうがましというものだ。」

 一読して、冷や汗が出る。

 果たして、今は、この小人儒全盛の時代である。

 かくいう自分も、他人を責めることには急で、自分を責めることには緩やかだ。

 学問は、自分の姿で伝わらなければ、本物ではない、といふことである。



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2006/04/14

佐久良東雄の歌 その1

 幕末の志士の中で、最も優れた和歌を残した人物を挙げた場合、必ず3本の指に入るのが、佐久良東雄である。

 その名の通り、沢山の桜の歌を残しているが、決して物見遊山の歌ではない。烈々たる志の迸る歌ばかりなのである。

 人丸や赤人の如いはるとも詠歌者(うたよみ)の名はとらじとぞおもふ

 専門歌人はだしの東雄ではあるが、人丸や赤人の如き忠臣のように言われるのならばともかく、歌詠み人などと言われたくはない、と真情を吐露している。技巧に走り、ふやけきったことばのもてあそびなどとは無縁の人であったことを思わなければならない。

   朝夕祈祷の歌

 さくら花咲き咲きわびて青柳のまゆのひらけし春にあはばや

 青柳のまゆのひらけし、とは、上御一人の愁眉を開かれる、ということである。その日がくるのを待ちわびると、桜の花に祈りを込めているのである。

 大君の御言おもへばさくらばな踏散らさまくおもほゆわれは

 大君の御憂念がこめられたお言葉を思うと、のんびりと桜の花を見ている場合ではない、と桜の花を踏み散らかしてしまいたくなる、というのだ。しかしまた、

   禁中花
 嵐山芳野の花はいかにぞとみはしのさくらみそなはすらむ

 京の都の嵐山や、南朝縁の芳野の山の桜はどのように咲いていることだろうか、御所に咲く階の桜を、大君は如何なる思いでご覧になっておられることだろうか、と、大御心をはるかに思う東雄であった。

 朝日影豊栄のぼる御宇(みよ)になりてさくらの花をさかせてしがな

 王政復古、すめらみことのみいつの輝く時代を招来させたい、との熱い思いがこみ上げてくるのである。

 ことわざに花は三吉野人は武士はなにはぢざる心もたなむ

 ことわざに「花は桜木、人は武士」と言うが、花に恥じない心を持ちたいものだ。この思いは、

   花の嵐に散るを見て
 事しあらばわが大君の大御為人もかくこそちるべかりけれ

 との思いに直結していくのである。

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幕末志士の絶唱~「歎涕和歌集」

 幕末の志士たちは多くの詩歌を残した。
 中には一首だけ残されている人もある。たくさんの歌を残した人もある。そのいずれもが、国を思い人生をかけて短い命を駆け抜けた絶唱なのだ。漢詩も沢山残されているが、現代の我々にとっては、漢文の素養が著しく衰退していることもあり、容易には取り付くことが出来ない。しかし、和歌ならば、中学程度の古語の文法を思い出すだけで取り付くことが可能であろう。130余年前の人々の心を、和歌を通して直接感じ取ることが出来るのである。
 明治維新以後、敗戦まで、多くの志士遺文集や詩歌集がつくられた。しかし、今では殆ど目にする機会がない。
 ここに紹介する「歎涕和歌集」は、慶応三年に志士に最も近かった人の手により編纂されたものであり、様々な間違いも指摘されるが、同時代の人の手に成ったという意味でも貴重な歌集であると思われる。第一篇から第四篇に分かれているが、その全編を、分割して紹介して行きたいと思う。そのつど、余計ではあるが、感想なども添えるかもしれない。

 今回は、序文を紹介したいと思う。


歎涕和歌集序

いにし安政のころより此のかた、大皇國のために大和ごころを盡して、なかなかにあらぬ罪に行はれ、あるはひと屋の中に欝悒しく年月をおくりて、遂におひはなたれなどしたる人々、其のかずかぞふるにいとまなきをば、こころあらむ誰の人かはあはれと称へ、かなしとは思はざらん。かしこくも今天のしたの大御まつりごと、よろづいにしへのただしき道にもとづかせたまふおほん時に、あひたてまつるにつきても、かかりけむ人々らがはやく身をつくし心を盡しし功勳なからましやはとさへおぼゆるかたありて、さらにくちをしくもまたうれしうなむ。さるを此のころ、土佐の殿人宮地維宣ぬし、その事のあとをうれたみ、彼の人々の中に、事につき時にふれて云ひ出でけむことの葉どもの、かつがつちり残りたるを拾ひ、歎涕和歌集と外題して世に傳へらるる事は、せめてその人の霊を慰め、かつは今より後の人のいよいよ皇國のために、赤心を盡さんもとゐにもがなと、物せられたるふかき心しらひにして、尋常の集どものよくととのひて、おもしろきをむねとえらびたらん物とはいたく事かはりためれば、歌のうへのよしやあしやはおきて、唯そのよみ人らのををしき大和だましひを思ふべきにこそ。

慶應三年十二月つごもがた 平 忠秋誌

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