2012/03/04

「土と兵隊・麦と兵隊」を読む

戦場からの通信文という形式で書かれた文学作品が、明治以来の伝統としてある。

国木田独歩、正岡子規が、日清戦争の際に、従軍記者として中国に渡り、それぞれ作品を残している。

火野葦平の「土と兵隊」も、弟に宛てた形式となっている。違うのは、一兵卒として書かれていることであろうか。


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2010/08/31

「国民の遺書」に先行する、「父上さま母上さま~桜を恋うる英霊の声~」

 小林よしのり編「国民の遺書」が反響を呼んでいるという。


 喜ばしいことだと思う。氏ならではの一定の広がりにより、より多くの人々に「靖国の言乃葉」が広がっていくことは何よりのことだ。


 「英霊の言乃葉」


 靖国神社の御社頭に掲示されている、大東亜戦争をはじめとする日本の近代の歴史の中で、国を守るために、公に殉じて逝った英霊の方々の遺書をまとめた冊子である。


 僕の手元には、1~9までがあるが、今はも少しまとめられているかもしれない。


 最初の一冊を手に取った時の感激は古びていない。

 昭和63年7月15日初版の「父上さま母上さま」という本がある。


 これは、まさに「国民の遺書」に先行する本である。平成7年7月1日第17版が手元にあるので、おそらくは更に版を重ねているはずだ。

 神社新報社という、神社界の出版社から出されていることもあり、一般には広がりにくかったのかもしれないが、それでも売れ続けているわけだ。平成3年の改版の言葉の中に、10万人の人々に読まれている、とあるので、その時点で10万部は頒布されているということである。


 編集者の名前は書かれていないが、自分の記憶に誤りがなければ、これは、南雅也先生のお仕事だったと思う。


 満州の麻刀石の闘いで、正に鬼神も哭かしめた壮烈な戦いを行った学徒兵の生き残りの方である。


 靖国神社において毎年10月21日、学徒出陣の日を期して学生の手で行われている、「戦歿全学徒慰霊祭」が、靖国神社で斎行ことが出来るようになったきっかけが、南雅也先生のおかげだったと記憶している。


 「父上さま母上さま ~桜を恋うる英霊の声~」

この書のことも是非忘れないで、頂きたいものと思う。
 


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2010/02/04

安岡正篤先生著「日本の父母に」

安岡正篤先生の御本が、新しい装丁にて書店で平積みされていた。

尊いことである。

「日本の父母へ」という題名に魅かれて購入した。


解説の冒頭に以下のように書かれている

「日本の父母に」は、ゆえあって小冊子ながら、安岡教学にしめる比重は、他の主著と並んで極めて大きなものがある。」

この本については、またじっくり拝読してから、腹を据えて書いてみたい。


やがて日本の父母になる、10代、20代の若い世代の人々にこそ、この本をひもといてもらいたいと、切に思った。


現代、親でない親があまりにも増殖している中にあって、親であることに失望しないように、親であることの素晴らしさを、尊さを、そしてその責任を、しっかりと感じて欲しいものだ。


それが出来なければ、日本は滅びてしまうのではないか。吾子を育てるという営みは、決して私事ではない。いや、私と公を分断するなど、本来無理なことなのだ。

私の中に公があり、公の中に私がある。

吾子の中に、次の日本を背負って立つ人の姿を見てこそ、その子を立派に育てることも出来るのだろう。


現代に本当に必要なのは、家族、親子、縦の絆の意味合いを把握しなおすことではなかろうか。

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2006/04/14

幕末志士の絶唱~「歎涕和歌集」

 幕末の志士たちは多くの詩歌を残した。
 中には一首だけ残されている人もある。たくさんの歌を残した人もある。そのいずれもが、国を思い人生をかけて短い命を駆け抜けた絶唱なのだ。漢詩も沢山残されているが、現代の我々にとっては、漢文の素養が著しく衰退していることもあり、容易には取り付くことが出来ない。しかし、和歌ならば、中学程度の古語の文法を思い出すだけで取り付くことが可能であろう。130余年前の人々の心を、和歌を通して直接感じ取ることが出来るのである。
 明治維新以後、敗戦まで、多くの志士遺文集や詩歌集がつくられた。しかし、今では殆ど目にする機会がない。
 ここに紹介する「歎涕和歌集」は、慶応三年に志士に最も近かった人の手により編纂されたものであり、様々な間違いも指摘されるが、同時代の人の手に成ったという意味でも貴重な歌集であると思われる。第一篇から第四篇に分かれているが、その全編を、分割して紹介して行きたいと思う。そのつど、余計ではあるが、感想なども添えるかもしれない。

 今回は、序文を紹介したいと思う。


歎涕和歌集序

いにし安政のころより此のかた、大皇國のために大和ごころを盡して、なかなかにあらぬ罪に行はれ、あるはひと屋の中に欝悒しく年月をおくりて、遂におひはなたれなどしたる人々、其のかずかぞふるにいとまなきをば、こころあらむ誰の人かはあはれと称へ、かなしとは思はざらん。かしこくも今天のしたの大御まつりごと、よろづいにしへのただしき道にもとづかせたまふおほん時に、あひたてまつるにつきても、かかりけむ人々らがはやく身をつくし心を盡しし功勳なからましやはとさへおぼゆるかたありて、さらにくちをしくもまたうれしうなむ。さるを此のころ、土佐の殿人宮地維宣ぬし、その事のあとをうれたみ、彼の人々の中に、事につき時にふれて云ひ出でけむことの葉どもの、かつがつちり残りたるを拾ひ、歎涕和歌集と外題して世に傳へらるる事は、せめてその人の霊を慰め、かつは今より後の人のいよいよ皇國のために、赤心を盡さんもとゐにもがなと、物せられたるふかき心しらひにして、尋常の集どものよくととのひて、おもしろきをむねとえらびたらん物とはいたく事かはりためれば、歌のうへのよしやあしやはおきて、唯そのよみ人らのををしき大和だましひを思ふべきにこそ。

慶應三年十二月つごもがた 平 忠秋誌

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