2010/12/05

「言霊の幸はふ國」    小林秀雄

小林秀雄 「白鳥・宣長・言葉」所収 「言葉の力」より

 萬葉の詩人は日本を、「言霊の幸はふ國」と歌つたが、わが國に限らず、どこの國の古代人も、言葉には、不思議な力が宿つてゐることを信じてゐた。現代人は、これを過去の迷信と笑ふことはできない。何故かといふと、この古い信仰は、私達の、言葉に對する極めて自然な態度を語つてゐるからだ。古代人は、言葉といふ事物や観念の記號を信じたのではない。言葉といふ人を動かす不思議な力を信じたのである。物を動かすのには、道具が有效であることを知つたやうに、人を動かすのに、驚くほどの效果を現す言葉といふ道具の力を、率直に認め、これを言霊と呼んだのである。なるほど、呪文によつて自然を動かさうとしたのは愚かであつたらうが、言葉の力は、自然に對する人間の態度を變へることは出來る、態度が變れば、自然が變つたのと同じ效果が上る、さういふことを知らなかつたほど愚かではなかつたのである。彼等にとつて言葉とは、現實の對象や實際の行為に、有效に働く、さういふ一種の機能を持つ力であつた。今日も、詩人はこの古い信仰を傳承してゐる。


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僕が、小林秀雄氏の文章にはじめて触れたのは高校の教科書であつた。平家物語を題材としたその文章は、授業で取り上げられることはなかつたが、退屈な凡百の文章の中にあつて、あまりにも鮮やかに僕の心にしみ込んできた。

最初に読んだ本は「本居宣長・補記」であつた。

なぜ、それを選んだかについては、山本七平氏が書いた追悼文に、「補記」の方が本音がズバリ書いてある、といふ意味のことを書いていたからである。

その次に読んだのがこの「白鳥・宣長・言葉」であつた。

小林秀雄遺稿集といふ帯を見て、まだ真新しい本を買つたのである。


「言葉の力」といふ短い文章ではあるが、言葉に対する極めて率直な小林秀雄氏の思ひがつづられてゐる。

こうした文章の前では沈黙して味はふしか他にすることがなくなる。


良き言葉を使うことが大切だなどと、こちたき議論などしなくても、この一文をじっくりと味はへば、自ずから、良き言葉を使ふやうになるだらう。それくらいに高級な魂の持主であつても、別に罰は当たらないと思ふのだ。

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2010/02/04

安岡正篤先生著「日本の父母に」

安岡正篤先生の御本が、新しい装丁にて書店で平積みされていた。

尊いことである。

「日本の父母へ」という題名に魅かれて購入した。


解説の冒頭に以下のように書かれている

「日本の父母に」は、ゆえあって小冊子ながら、安岡教学にしめる比重は、他の主著と並んで極めて大きなものがある。」

この本については、またじっくり拝読してから、腹を据えて書いてみたい。


やがて日本の父母になる、10代、20代の若い世代の人々にこそ、この本をひもといてもらいたいと、切に思った。


現代、親でない親があまりにも増殖している中にあって、親であることに失望しないように、親であることの素晴らしさを、尊さを、そしてその責任を、しっかりと感じて欲しいものだ。


それが出来なければ、日本は滅びてしまうのではないか。吾子を育てるという営みは、決して私事ではない。いや、私と公を分断するなど、本来無理なことなのだ。

私の中に公があり、公の中に私がある。

吾子の中に、次の日本を背負って立つ人の姿を見てこそ、その子を立派に育てることも出来るのだろう。


現代に本当に必要なのは、家族、親子、縦の絆の意味合いを把握しなおすことではなかろうか。

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