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2015/11/28

新葉和歌集  序

天地開け始めしより、葦原の代々に變らず、世を治め民を撫で、志をいひ心を慰むる媒として、我が國に在りとしある人、善くもてあそび盛にひろまれるは唯此の歌の道ならし。これによりてならの葉の名におふ帝の御時より、正中の畏かりしおほん世に至るまで、撰び集めらるる跡、十あまり七たびになむなれりける。其の間家々に集めおけるたぐひ、亦其の数を知らざるべし。しかあるを元弘のはじめ、秋津島のうち浪音しづかならず、春日野のほとりとぶ火のかげしばしば見えしかど、程なく亂れたるを治めて正しきにかへされし後は、雲の上の政、更に舊き跡に歸り、天下の民、重ねて普ねき御惠を樂しみて、悪しきを平げ反く討つ道まで、一つに統べ行はれしかど、一たびは治まり一たびは亂るる世の理なればにや、遂に又昔唐土に江を渡りけむ世の例にさへなりたれど、千早振神代より國を傳ふるしるしとなれる三くさの寶をも承け傳へましまし、大和唐土につけて諸の道をも興し行はせ給ふおほん政なりければ、伊勢の海の玉も光り異に、浅香山の言の葉も色深きなむ多く積りにたれど、徒らに集め撰ばるる事も無かりけるぞ縫物を着てよる行くたぐひになむありける。ここに呉竹のその人数に列りても、三代の御門に仕へ、和歌の浦の道に携ひては、七十ぢのしほにも満ちぬるうへ、かつことを千さとのほかに定めし昔は野べの草事繁きにもまぎれき。心を三つの衣の色に染めぬる今はあしまの舟の障るべき節もなければ、且は老の心をも慰め且は末の世までも残さむため、かみ元弘の始めより、しも弘和の今に至るまで、世は三つぎ年は五十とせの間かりの宮に随ひ仕うまつりて、折りにふれ時につけつついひあらはせる言の葉どもを、玉の臺金の殿より瓦の窓繩の戸ぼそのうちに至るまで、人をもちてことを棄てず、撰び定むるところを千うた四百あまり二十まき、名づけて新葉和歌集といへり。花を尋ね郭公を待ち月を眺め雪を玩ぶよりはじめて、花の都に別を惜み草の枕に古里を戀ひ、五十鈴川石清水の流を汲みては光を和らげて塵に交はる誓をたふとび、鶴の林鹿の苑の跡を尋ねては迷を除きて悟りを開くむねを希ふ。あるは片糸のあひ見ぬ戀に思ひ亂れ、あるは呉竹のうき節繁き世を歎きても恨を喞ち思ひを述べ、閻浮のさかひの常ならぬ理を悲み、又百敷の内にしては雨露の惠を施し八洲のほかまでも浪風の音静にして、席田の鶴の齢に争ひ住吉の松の千年を保たせ給ふべきすべらぎのおほん光を祝ひたてまつるに至るまで、心うちに動き言葉ほかにあらはれて、六くさの姿に適ひ、一ふしのとるべきあるをばこれを捨つることなしといへども、四方の海の波のさわぎもこよろぎの五十とせに及べれば、家々の言の葉かぜに散り浦々の藻鹽草かきもらせるたぐひもまたなきにあらざるべし。そもそもかく撰び集むることもただ苑のうちの僅かなることわざなれば、天の下ひろきもてあそびものとならむことは思ひよるべきにあらぬを、はからざるに今勅撰になずらふべきよしのみことのりをかうぶりて老の幸のぞみに超え、喜の涙袂に餘れり。これによりてところどころ改めなほして弘和元年十二月三日之を奏す。おほよそこの道にたづさはらむ一はいよいよ難波津の深き心を悟り、この時にあへらむ輩は普く敷島の道ある御代にほこりて春の花のさかゆる樂みを四つの時にきはめ、秋の夜の長き名をよろづの年にとどめつつ、露征き霜來りて濱千鳥の跡絶ゆることなく、天長く地久しくして神代の風遥かに仰がざらめかも。

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