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2010/02/14

しきしまの道について  ~日本人の心の鍛え方~

○はじめに

  ~日本人と「しきしまの道」~

○言霊は生きている

  ~万葉集「好去好来の歌」(山上憶良)から~

○日本における「歌」の発生について

  ~古今集仮名序の「和歌論」~
   八雲の道、言の葉の道、

○歴代天皇に見る「しきしまの道」のご自覚

 ~千載和歌集序に初出の「しきしまの道」の語~

○「言葉」と「心」と「事」の相関について

  ~本居宣長の「古事記傳」に見る言語観~

○「言葉の乱れ」は「心の乱れ」

  ~「神皇正統記」の世界観

○しきしまの道の可能性

~仏語で出版された皇后陛下御歌集「瀬音」の反響~


○しきしまの道の実践

  ~「明治天皇御製」に学ぶ~

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ある勉強会で発表した際のレジュメをアップしてみました。

「しきしまの道」という言葉は、もはや耳にする機会も遠のき、古典の中に埋もれてしまった言葉かもしれません。

しかし、日本人が国語を忘れない限り、その命脈後途絶えることはありません。

かつて、呉善花さんが、日本語を学んでいくと心の持ち方に変化が生じる、他の言葉を学んでもそのようなことはない、と書かれていたことがあります。

一般論に押し広げることが出来るかどうか今俄かに即断することは出来ませんが、元来言語には、その言語特有の魂が宿っているのではないかとは思うのです。他の言語に比べて日本語が特にそのような特性に恵まれているのかどうかということを考えるのは、大変興味深い事柄ではあります。


「これのみは よその国より 伝はらで 神代ながらの 敷島の道」

敷島の道とは、言葉の道であり、日本語の発生そのものを指している言葉と言ってよいと思います。

本居宣長の言語観によれば、言葉と心と事とは密接不可分な関係にあるとされますが、これは決して奇矯の説でなく、ごく当たり前の認識であると考えられます。

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コメント

謹言 敷島道に因んで一首です、

夢破れ経済的な自立こそ求めて得るは敷島の道

投稿: 辻 | 2016/08/11 午後 06時43分

謹呈 短歌二首


灯 火 の 親 し き こ と は 敷 島 の 道 組 み 散 ら す 定 む と も な し

な か き よ の と お の ね ふ り の み な め さ め な み の り ふ ね の お と の よ き か な

投稿: コトタマノマナビ | 2014/11/08 午前 11時59分

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