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2009/08/18

山田方谷   誠に生きた幕末の巨人  その1

 長い間、その名を知るのみで、いかなる人物か知らなかった山田方谷について学ぶ機会を得た。

 幕末維新の動乱期を、73年の生涯を駆け抜けた偉人だということが分かった。

 文化2年(1805年)に生まれ、明治10年(1877年)に没した。

 陽明学の系譜にある方としては、珍しいといっては何だが、非業の最期を遂げたわけではない。

 しかし、藩主・板倉勝静公が幕閣となり、老中に任じられ、藩主の顧問として幕政に参画したことにより、鳥羽伏見の戦い以後の戊辰戦争では、幕府方として、備中松山城を、征討軍に開城する憂き目に逢うが、無事になし終えた。また、藩主勝静公を救い出すことにも成功するのである。

 備中松山藩は有名な貧乏藩で、10万両(今でいえば約650億円)の借金を抱え、利子の返済もままならない状況にあった。

 その立て直しを7年で行い、逆に10万両の余剰金を生み出した山田方谷の手腕は全国に鳴り響き、このとき、越後の河井継之助が、藩政改革を学ぶために訪れている。

 
 この財政再建の方策は、今こそ政治家たちがこぞって学ばなければならないと思うのだが、いかがなものだろうか。

 具体的なポイントとしては以下の6つとなる。

 1、人心を正す

 2、風俗を敦くする

 3、役人の汚職をなくす

 4、人民が倒れ死ぬ原因を調査する

 5、文教を振興する

 6、軍備を拡張する

 今の日本政府に、このうちの一つでも成し遂げることができるだろうか。


 今回学ぶ中で、「至誠惻怛」(しせいそくだつ)という言葉が心に残った。

 「誠を尽くして人を思いやる心」、という意味だそうだ。

 
 

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