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2007/08/09

山岡荘八歴史文庫から「徳川慶喜」を読みつつ

 山岡荘八さんといえば、「徳川家康」をはじめとして歴史小説で押しも押されもせぬ作品を残した作家として知られている。

 吉川英治氏はより大衆的な作風を感じるが、山岡氏はより重厚というかより前面に理想なり理念が出ているということが出来るかもしれない。

 学生になって先ず先輩から読めといわれたのが「吉田松陰」だった。その後何度か読み返し、「吉田松陰全集」などもかじり読みした後で見ると、山岡氏が如何に松陰の残した言葉を丹念に辿り、その真精神を引き出そうとしているかが分かった。

 これに比べると司馬遼太郎の「世に棲む日々」は、浅薄というか興味本位というか、内面に入っていこうとしていないことがよくわかる。むしろ外側からじろじろ眺めては、今の自分の立ち位置から批評するといった感じなのである。

 山岡氏の記述に現代が出て来ない、というのではない。しかしその向きが逆なのである。決して過去を一段高いところから見るというような「進歩的」な態度は一切ないのである。こらえきれないという感じで「現代」に通じるところに筆が及ぶ、といった感じなのである。面白いことに、その部分だけが古びて見えるのだ。

 歴史は、時空の風雪に耐えて伝えられてゆく。多くの人々の手を経て、様々に受けとられながらも、元の形を厳として曲げないのである。変わっていくのは、受け取り手の勝手な思いに過ぎない。稀に、歴史に対峙して火花を散らすものがあり、新しく歴史となっていくのである。しかし、歴史そのものを軽蔑したものは、歴史から見放されるのではないだろうか。

 「徳川慶喜」は歴史文庫で1~6巻までだが、今ようやく6巻を読み始めたところだ。

 幕末の歴史を主導したものが、薩摩、長州であることは論を待たないが、勤皇の精神の源流に位置する水戸に中々思いが及ばないのである。それは維新後に勢力として全く壊滅してしまっていたことにもよるかもしれないが、むしろ慶喜に結晶して、大政奉還をなさしめ、かつ日本を独立国家として保全して、新しい政権に渡すために陽の目を見ない献身をなしたものなのかも知れない、と思いはじめた。

 先頃、マツノ書店が「復古記」を復刊したが、戊辰戦役という未曾有の大転換期を克明に記録した空前の歴史書である。是非とも入手したいと思っている。

 日本人は、もっと日本の歴史を知らなければいけない。それは表層の上っ面ではなく、深い源泉を知らなければならない。

 現代日本の原点、それはやはり御一新であり、幕末維新史の光と影をしっかり学ぶことが、現代の日本人として最低限必要な教養であろうかと思われる。最低限であるから、義務教育の中で教えられるようにしなければならないだろう。

 もちろん、もう一つ、大東亜戦争にいたる昭和の歴史についても同様である。山岡荘八歴史文庫には「太平洋戦争」という作品も収められている。これも読まれるべきものである。

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