« 幕末志士の絶唱~「歎涕和歌集」 | トップページ | 残櫻記(22) »

2006/04/14

佐久良東雄の歌 その1

 幕末の志士の中で、最も優れた和歌を残した人物を挙げた場合、必ず3本の指に入るのが、佐久良東雄である。

 その名の通り、沢山の桜の歌を残しているが、決して物見遊山の歌ではない。烈々たる志の迸る歌ばかりなのである。

 人丸や赤人の如いはるとも詠歌者(うたよみ)の名はとらじとぞおもふ

 専門歌人はだしの東雄ではあるが、人丸や赤人の如き忠臣のように言われるのならばともかく、歌詠み人などと言われたくはない、と真情を吐露している。技巧に走り、ふやけきったことばのもてあそびなどとは無縁の人であったことを思わなければならない。

   朝夕祈祷の歌

 さくら花咲き咲きわびて青柳のまゆのひらけし春にあはばや

 青柳のまゆのひらけし、とは、上御一人の愁眉を開かれる、ということである。その日がくるのを待ちわびると、桜の花に祈りを込めているのである。

 大君の御言おもへばさくらばな踏散らさまくおもほゆわれは

 大君の御憂念がこめられたお言葉を思うと、のんびりと桜の花を見ている場合ではない、と桜の花を踏み散らかしてしまいたくなる、というのだ。しかしまた、

   禁中花
 嵐山芳野の花はいかにぞとみはしのさくらみそなはすらむ

 京の都の嵐山や、南朝縁の芳野の山の桜はどのように咲いていることだろうか、御所に咲く階の桜を、大君は如何なる思いでご覧になっておられることだろうか、と、大御心をはるかに思う東雄であった。

 朝日影豊栄のぼる御宇(みよ)になりてさくらの花をさかせてしがな

 王政復古、すめらみことのみいつの輝く時代を招来させたい、との熱い思いがこみ上げてくるのである。

 ことわざに花は三吉野人は武士はなにはぢざる心もたなむ

 ことわざに「花は桜木、人は武士」と言うが、花に恥じない心を持ちたいものだ。この思いは、

   花の嵐に散るを見て
 事しあらばわが大君の大御為人もかくこそちるべかりけれ

 との思いに直結していくのである。

|

« 幕末志士の絶唱~「歎涕和歌集」 | トップページ | 残櫻記(22) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 佐久良東雄の歌 その1:

« 幕末志士の絶唱~「歎涕和歌集」 | トップページ | 残櫻記(22) »