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2005/07/30

残櫻記(14)

さてまた南方宮方は、比叡山の中堂にたて籠りて、山門の僧徒をかたらひけれどもさらに従はず、さるほどに京方の軍兵はせ向ひて攻けるに、僧徒もこれに加はりて、かへりて共に攻ければ、同廿五日つひに中堂を攻落されて日野有光卿、楠、越智等を始あまた討れ、或は自害して尊義王もうしなはれ給ひにけり、(東寺補任に、大将は南方高秀也、頭之を取る、と書せるは尊義王の御事をまがへたるなり、)されども残黨等尊秀王を守護奉り、神璽を擁とりて、大和をさして落行きぬ、さて又かの寶劔にまがへて奪とりたりける御劔をば、清水寺の堂中に遺しおき、一紙の状を副て、「大内の三種の神器にて候、返し申され候べく候、わろくせられ候はば罰あたり候べく候」、とぞ書きたりける、寺僧心月房これを見つけて、廿七日に武家へ出しければ、翌る廿八日の夜、管領畠山左衛門督持國をもて奏聞して、假皇居に還納め奉る、明徳の神器御帰座なりとて、其式をぞ行はれける、

 注・按に此時御帰座と称へる御劔は、上にいはゆる寶劔の錦の袋に取かへて、入れさせ給へる鞘巻繪の御太刀なり、寄手眞の御物ならぬ事を知りて、これを奪り行りたらむには、欺れすましたりと思はれむ事を悪きらひて遺しおき、なほその欺れざる由を顯らせむ心しらびして、わざと然書て添たるものなり、しかれば神器御帰座の式行はるべくもあらぬ御事なるを、其当時とき世の疑を晴けさせむための御謀ひなること決うづなし、さてまた皇年代略記裏書に、此時神璽寶劔紛失と記して、後長禄二年に神璽帰洛の事を記せり、然ては寶劔は失給へるがごときこえて、ゆゆしく畏し、前に寶劔をも紛失と記せるは誤なり、

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