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2005/07/27

残櫻記(13)

         此時におよびて、内裏警固の武士共、おひおひに馳参りて、退く寄手を、追討に五十三人うちとりぬ、内侍所は御辛櫃ながら、取奉りて出るところを、東門の役人、佐々木黒田判官が手に守返し奉りぬ、かくて寄手は比叡山に引上り、中堂にたてこもり居て、牒送して、今度南方の宮を取立奉るに依て、内裏に推参したりとて、事の由をぞ申しける、さてまたさきに主上は危きところを御のがれありて、密に裏辻中将某の家に立ちよらせ給ひ、やがて廣橋中納言綱光卿の家に徒らせ給ひ、また其處より御しのびの腰輿に御めして、近衛前関白忠嗣公の第にぞ入らせたまひにける、されども騒動の間にて、人皆いまだ御在所を知るものなかりき、かくて内侍所は、三條殿(右大臣實量卿なるべし)より奏聞ありて、やがて近衛殿の御在所に遷御なし奉らる、これより主上の御在所を人みな知り奉りて、此彼より馳参りてぞ仕奉りける、国母准后皇子たちも、別れ別れに御遁れありて、伏見殿(一條東洞院の東南に在る御所)烏丸殿(北小路萬里小路の御所なり)等に遷坐ましけり、同廿六日主上伏見殿に遷御ありて假皇居に定給ひ、後宮皇子方も御同殿にぞ坐ましける、

 注・伏見殿と申は、前の上皇の舊院なりけるを、主上の御父貞成心嚢に進り給へる御所也、此假皇居におはしませる間ほど、文安四年此親王に、太上天皇の尊號を奉り給へり、御諡を後崇光院と称し奉る御事なり、さて此時に土御門の内裡炎上やけたりしかば、中間十二年この御所を假皇居と定め給ひ、康正二年に内裡新造成就なりて、七月廿日遷幸ましましき、

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