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2005/06/17

残櫻記(12)

舊の南朝の皇統に復かへし奉らむとぞ企てける、(将軍足利義勝朝臣、今年七月二十一日、十歳にて卒り、同廿三日弟義政、其時は義成とて、八歳にて嗣立ありし頃の事なり、)公家には、日野一位入道藤原有光卿(南方記傳には、日野東洞院一品有親と云へり)同意して、京に在りて密に示し合せ給ひけり、かくて南方宮方の軍兵三百人ばかり、密に京へしのび入りて、九月廿三日の夜半に内裡に(土御門に在)襲よせて、西門より切て入る、一手は楠次郎将となりて清涼殿に昇り、一手は越智某将となりて局町より打入りて、灯火をはなちて切て廻る、此時有光卿も相加はり給ひけり、をりふし禁中人すくなかりければ、殿上に乱入りて、思ふ儘にぞふるまひける、さるほどに其軍兵の中より、長刀を打振りて、主上に近付奉る者ありけるが、忽目眩くれたるさまにて、をどりのきて倒れける所へ、親長季實と云ふ者はせ参り、御前に立ちふさがり、太刀を抜て敵を切りはらひ防ぎけるあひだに、主上は御冠を脱がせたまひ、女房の姿に御ひきつくろひありて、御徒かちよりしのびて、唐門をのがれ出させ給ふ、親長は敵にかけ隔てられ、季實ひとりぞ御供には仕奉りける、この時主上御心とく、御みづから寶劔を錦の袋より取出し、鞘巻絵の御太刀の布の袋に入れかへて持ち給ひ、さて寶劔の入りたりける錦の袋には、かの鞘巻絵の御太刀を入れて、わざと残し置せ給ひにけり、かくて典侍は神璽を執りたてまつり、又その残し置せ給へる御太刀をも取持て、遁れ出るところを、寄手見つけて共に奪ひとり、また内侍所をも奪ひとり奉りてけり、かくふるまひて、出さまに神寶をば取奉りぬ、はやく火を懸けよとよばはりて、やがて清涼殿に火を放ちてぞ退きける、

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