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2005/05/27

日本海海戦

「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ 聯合艦隊ハ直ニ出動之ヲ撃滅セントス
本日天気晴朗ナレ共 波高シ。」(明治38年5月27日6時21分)

この電報を大本営に宛てて打電した直後に、戦艦三笠を旗艦とする連合艦隊は、鎮海湾を出撃した。

6時34分 鎮海湾に待機していた旗艦三笠を銭湯に、第一艦隊の第一戦隊(戦艦三笠、朝日、富士、敷島、装甲巡洋艦二隻、通報艦一隻)、第二艦隊(装甲巡洋艦出雲、吾妻、浅間など六隻)、第二艦隊の第四戦隊(巡洋艦浪速、明石、高千穂、新高など四隻)、駆逐艦など四十数隻が続いた。

午後一時五十五分には、旗艦三笠のマストの上に「皇国の興廃此一戦にあり各員一層奮励努力せよ」とのZ旗が掲げられる。

一方、バルチック艦隊の三十八隻の艦艇は三列縦隊で、中央列旗艦スオロフを銭湯に第一戦艦戦隊、左列に旗艦オスラビアを先頭に第二戦艦戦隊、その後ろに旗艦ニコライ一世を先頭とする第三戦艦戦隊、そして、その右側に第一・第二巡洋艦戦隊、駆逐隊、補給艦などの特務艦艇が続く。

日本海軍は午後一時三十九分にロシア艦隊を発見、二時五分に敵艦隊の前方で北北東に大旋回し、敵艦隊の先頭を斜めに圧迫し、同航態勢に変針し、午後二時十分に射撃を開始した。距離は6000メートル。(所謂、東郷ターン・T字戦法)

砲撃の正確さと砲弾の破壊力では日本海軍が格段と優っていたため、ロシア艦隊は圧せられ、午後二時二十分にはオスラビアが被弾し落伍。三時六分ごろには旗艦スオロフ、オスラビアが列外に脱落し、アレクサンドル三世が火災を起こした。

スオロフの司令塔が破壊され、ペトロビッチ・ロジェストウェンスキー司令官が砲弾の破片を受け人事不肖に陥り、バルチック艦隊の行動は混乱をきわめた。

司令官を失ったバルチック艦隊は、北へ東へ南へと航路を変えたが、午後三時十分にはオスラビアが沈没し、六時ごろには戦艦アレクサンドル三世が列外に脱落し、七時には沈没、三番艦のボロジノは大火災を起こし、午後七時三十分には戦艦ボロジノとスワロフが沈没し、さらに特務艦ルーシ、カムチャッカが沈没し、イルツイシが大破した。

午後七時三十分、東郷司令長官は、主隊による戦闘の終結を令し、翌朝の決戦のために欝稜島沖に向かった。夜戦は駆逐艦二隻、水雷艇三十一隻が参加し、第一・第二駆逐隊は来たから、第三・第四駆逐隊は東から、第六駆逐隊は南東から攻撃し、駆逐艦十四隻と水雷艇二十四隻から約五十本の魚雷が発射され、五本から六本が命中し、それにより装甲巡洋艦ナヒーモフ、戦艦シソイウェリーキとナワリンが沈没し、この日の海戦で事実上バルチック艦隊は壊滅した。

日本側の損害は、水雷艇沈没三隻(二隻は砲火、一隻は衝突)、水雷艇二隻大破、駆逐艦四隻、水雷艇二隻中小破だけであった。

翌日、バルチック艦隊はもはや数隻ずつの小艦隊、さらには個々の軍官に分解してしまっていた。

聯合艦隊主力は夜中に欝稜島付近に集結し、夜明けとともにロシア艦隊を捜索し、午前九時半に戦艦ニコライ一世、アリヨールを中心とする五隻の艦隊を発見、約一時間の砲戦ののち、後方にも日本巡洋艦隊があり脱出不能とみた司令官ネボガトフ少将は降伏を申し出た。降伏し捕獲された軍艦は、戦艦ニコライ一世、アリヨール、海防艦アドミラル・アブラクシン、アドミラル・セニャーウィンであり、別に負傷したロジェストウェンスキー中将が移乗した駆逐艦ベドウイも捕獲された。

この海戦で、バルチック艦隊を構成していた八隻の戦闘艦中六隻が沈没、二隻が捕獲された。装甲巡洋艦五隻が沈没、一隻が自沈、巡洋艦アルマーズがウラジオストックに、海防艦三隻がマニラに逃れた。駆逐艦は九隻の五隻が撃沈され、二隻がウラジオストックに逃れた。

結局、対馬に向かったバルチック艦隊三十八隻中、ウラジオストックにたどりついたのは巡洋艦一隻、駆逐艦二隻、運送船一隻だけであった。この敗北は、レーニンの言葉を借りるならば全くの「壊滅」であった。

なお、ロシア側の人的被害は戦死五〇四六名(36.2%)、負傷者八〇九名、捕虜六一〇六名(37.8%)、一八六二名が中立国で抑留された。

日本側の損害は、水雷艇三隻、戦死一一六名、負傷五三八名であった。(以上「日露戦争が変えた世界史〜「サムライ」日本の一世紀〜」より)

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