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2005/05/20

残櫻記(8)

即すなはちその大覚寺殿を仙居と定めさせ給ひぬ、これより新院と称し奉らる、かくても年號は、既に北朝ときこえける時建られたりつる明徳三年を、其ままに行ひ給ひき、其後(中間一年)応永元(甲戌)年二月廿三日、新院に太上天皇の尊號を上らる、そもそもかく御和睦御合體の御事、さらに御本意にはあらざれども、南朝の皇威漸に衰へさせ給ひけるをりから、北朝方の武家をはじめさまざまにこしらへて請奏せるによりて、止事得たまはむ乱世の様にしたがひ給ひ、かつは天下の万民のために、深き叡慮坐ましし御事ナルベケレド、其はじめをふかく推しはかり思ひ奉れば、ひとへに、ひさかたの、天照坐(あまてらします)大御神の、大叡慮(みこころ)にこそはありしなるべけれ、しかはあれど、吉野の前朝より、父祖代々大義(おやのつぎつぎことわり)を重(おも)みし、忠(まめ)心なりつる武士等もののふらは、なほ其憤(いきどほ)りはれがたく、かつは武家の謀計によりて、御和合の事に及びたりけむ、といふかひなく、口をしき事に思ふ心の深かりければ、其御方ざまの宮々を申とどめまゐらせて、猶吉野わたりに潜り仕奉りて、世のありさまをなむ候うかがひける、

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