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2005/05/13

残櫻記(7)

しかれば此たびは皇子を(後亀山天皇のなり)御養君として、太子に立進らせらるべきなり、いかで都に遷幸ありて、北朝の今のみかど(後小松帝)に御譲位の義をもて、神器を御譲渡し給はむには、即ち先皇の禮をもて、尊號を奉らるべし、又吉野十津川の御領以前さきのごとく知食るべしとの御事なりければ、其旨かたく御契約のうへ、御和睦御合體あるべきよし聞召いれ給ひにけり、これによりて同年十月廿八日、後亀山天皇吉野賀名生の行宮を出たたせ給ひて、閏十月二日、都へ遷幸ましましけり、されども内裡には入らせ給はず、即日洛外に出給ひ、嵯峨の大覚寺殿に渡御坐ましけり、かくて同五日御契約のごとく、後小松天皇に御譲位の義を以て、神器を御譲渡ありて、

 注・此時大内義弘奉うけたまはりて、御輿長十人、駕輿丁卅五人を率て参り、神器を迎たてまつりける由、有職抄に引たる、大外記師量記に見えたり、又神器を授り給へるによりて、上卿日野新大納言藤原資教卿、参議平の知輔朝臣奉にて、御鎮座の儀を行ひ給ひ、三箇日御神楽を獻られたる由、東寺王代記に載しるせり、

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