« 「大東亜戦争殉難遺詠集」 桜花集―戦没者遺詠集― (6) | トップページ | 「大東亜戦争殉難遺詠集」 桜花集―戦没者遺詠集― (7) »

2005/05/06

残櫻記(6)

後村上天皇、後亀山天皇の三代かけて、行宮に御在坐て皇統知食るる事五十七年に當れる、元中九年(壬申)年におよびて、既さきに足利がはからひにて京に取立置奉りつる、北朝と称す御すぢにておはしましける、後小松帝と御和睦あらむ事を、武家御中とりて、(当時武家将軍足利義満)大内介多々良良弘をして請奏し奉りけり、さるは前に後嵯峨天皇の御おきてにて在来しごとく、此後大覚寺殿と持明院殿との御流、かはるがはる御世を知食るべし、
 注・大覚寺殿と申は、後宇多天皇の御別號にて、後醍醐天皇すなはちその第二の皇子(みこ)に坐しましき、持明院殿と申は、伏見天皇の御別號にて、北朝の帝すなはち其御流なり、さて後宇多天皇は亀山天皇の皇子に坐し、伏見天皇は後深草天皇の皇子に坐して、ともに後嵯峨天皇の皇孫に坐ましき、

|

« 「大東亜戦争殉難遺詠集」 桜花集―戦没者遺詠集― (6) | トップページ | 「大東亜戦争殉難遺詠集」 桜花集―戦没者遺詠集― (7) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 残櫻記(6):

« 「大東亜戦争殉難遺詠集」 桜花集―戦没者遺詠集― (6) | トップページ | 「大東亜戦争殉難遺詠集」 桜花集―戦没者遺詠集― (7) »