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2005/04/01

残櫻記(1)

 残桜記
よき人のよしとよく見てよしといひし芳野の山のかり宮にあしと名に立つ足利があらひを避けおはしまして天つ日嗣しろしめして三代のみかどの古事はしもいそのかみふるき書どもに桜花ちりぼひて見えたれど岩ね木ねたち言ふとばかりに五月蝿なすさやげる世人の言の塵にうづもりてたかき木ずゑの花の色香は霞がくれにおぼほしくかきまぎれてのみきこゆるをそれわきためたる書しなければいかでとおもひ立て書よむごとに心とどめて見るとはすれどをざさたかがや道もなきまで生ひほびこりたるに山踏のふみなづみこのもかのもにしをりしつつ分まよひてありつるに江戸の御さふらひ大草の公弼ぬしいちはやくさる方におもひ起してすでに南山巡狩録といふ書にかきととのへられたるを得たるぞうれしきや其はあらたまの年月をいそしみて多くの書のあるが中よりみ芳野のよし野の宮の古事どもをよく見てよくえらびよくかむがへたるよき書にしてまことによき人のしわざになむありける

意訳(1)
「よき人のよしとよく見てよしといいし吉野よく見よよき人よく見よ」(万葉集・天武天皇御製)と詠われた吉野の山に仮の皇居を定められ、足利氏の暴虐を避けられて、天津日嗣の天皇の御位を三代に渡って継承し、天の下を知ろし召した(お治めになった)天皇陛下の古き言い伝えは、古い書物などに、櫻の花びらが散ったように散見されますが、太古の昔岩や木や草がものを言ったように、騒がしい世俗の人々の、俗論の中に埋もれてしまい、高いこずえに花が香るように霧に隠れてしまってあるかないか、取り紛れてしまうなかに僅かに伺いしれるばかりになっておりまして、整理をして正しい言い伝えを書き記したものもなければ、どのようにすればよいものかと、書をよむごとに心にとどめて見ていましたが、荒れ果てて萱などが高く茂ってしまい、道も見えなくなるまでになってしまった山道を、分け入っていくことも出来ず、あちらでもないこちらでもないと迷っておりましたところ、江戸におられる大草公弼という偉い先達が、いちはやくその方面に思いを起こして、すでに「南山巡守録」という書を書き整えておられたものを手に入れることが出来たことは嬉しいことでした。長い年月をかけて苦労をされて多くの書物の中から吉野の宮の古き事柄をよくよく択んで、考察を加えた、良く調べられた本であり、まことに優れた人の業績であると感心致しました。

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コメント

はじめました、わたしは「残櫻記」に登場します平瀬彦左衛門尉、小太郎の子孫に当たります。
私ども平瀬一族の本拠地は兵庫県宍粟市千種町河呂(こうろ)字平瀬です。そこには今も平瀬神社があり、なんと菊の紋章を使っています。
古伝によれば江戸時代中期に朝廷より正一位の神階を賜ったそうです。
わたしはその理由が『残櫻記』にある、神璽の奪還の功にあると考えています。

ちなみに私の専門分野は日本の古代史です、今後ともよろしくお願いします。

八尾市跡部本町1-1-32
平瀬英司

投稿: 平瀬英司 | 2014/06/14 午前 10時37分

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