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2005/03/24

「残櫻記」の紹介にあたって

 「残櫻記」は、本居宣長の弟子である、伴信友が著したものである。

 「残櫻記」は、前半と後半に分かれており、前半は平安末期の源平合戦の混乱の中にあって、安徳天皇の壇ノ浦での呉入水という痛ましい大事件を巡る問題についての論述である。後白河法皇は、この時、三種の神器無くして皇統を鳥羽天皇に継承せしめた。ここに、一つの疑いを晴らそうというものである。
 後半は、室町前期、南北朝御合体後の、後南朝の歴史をまとめた研究である。特に嘉吉三年の大事件により、三種の神器の内、勾玉が吉野の南朝の後胤の元に十数年に渡って置かれた史実についての論述である。

史料に照らし、心眼に照らして、皇位の正当性と三種の神器の継承について論証している。

 信友の最大の関心事は、心無い人々による、言われない誹謗の論を排除することにあったといえる。国学に志すものの務めであると任じたのではなかろうか。

 それにしても、南方の人々に対する無限の感懐を込めた一首によって稿を閉じた、信友の心事は誠に美しいものがある。それを紹介するのが、この稿の目的でもある。原文を短く38に区切った。半年間位、じっくりとこの名文に付き合って頂きたい。余りにも悲しい南朝の悲史であるが、その悲願があればこそ、戦国乱世という時代を、皇室が乗り切って行かれたともいえるのではなかろうか。また、南朝への思慕の念は、やがて明治維新において国家の独立を守り抜く原動力ともなった。精神史としての歴史は、表層の様々な俗事を超えて、長く深く伝えられやがて泉のように湧き出て、子孫の魂を潤さずにはおかないものなのだと思われる。

 現代という、未曾有の精神的荒廃の時代にあっても、乾き切った表層を少し掘れば、尚滔々と流れる伏流水を掘り当てることも出来ることを信じたい。

 尚、テキストは、4月1日から始めて、毎週金曜日の午前6時にアップしたいと思う。コメントなど、出来るだけ付け加えて行きたい。

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